気持ちでつながろう

いぬのしつけは何のためにするのでしょうか?

飼い主の指示に従う子にするため?

主従関係をつくるため?

 

犬は私たち人間社会の中で暮らしています。人間社会で暮らすということは、犬も人間社会のルールを守らないといけないということです。

散歩ではどこでもオシッコをしていいわけではありません。横断歩道では赤信号で飛び出してはいけないし、道路の真ん中を歩いてもいけません。

知らない人にいきなり飛びついたら相手がびっくりしてしまうし、来客があるたびに大きな声で吠え立てたらご近所の迷惑になってしまいます。

 

こうした人間社会のルールやマナーを教えること、そして、他人の迷惑にならないようにすることが「しつけ」です。そのために必要があれば「オスワリ」や「マテ」などの動作を教えることがありますが、単に「オスワリ」や「マテ」を教えることがしつけではありません。

 

犬のしつけの極意は、飼い主さんの望むことを愛犬が自ら喜んで行動するように導くことです。

よくおやつをご褒美に使う方法が紹介されていますが、おやつで教えることはおすすめしません。

おやつで教えると、はじめはよく覚えてくれるので飼い主さんはとっても助かります。ですが、そのうちにおやつにしか興味がなくなってしまうことが多いのです。

そうなると、おやつがあるということを聞くけれど、おやつがないということを聞かないということが往々にして起こります。

これでは、しつけをした意味がありません。何より飼い主さんから気持ちが離れてしまうのがおやつで教えることの怖いところです。


おやつがなくても、いつでもどんなときでも飼い主さんの言葉や気持ちに応えてくれる愛犬にしましょう。それが愛犬の命を守ることにもつながるのです。

しつけに「訓練」や「トレーニング」はそぐわない

犬のしつけというと、「訓練」や「トレーニング」という言葉が普通に使われていますが、いぬとずっとではそれらの言葉は使っていません。

「訓練」を辞書で調べると、「あることについて教え、それがうまくできるように技術的・身体的練習を継続的に行わせること」「実際にあることを行って習熟させること」「能力・技能を体得させるための組織的な教育活動のこと」などとあります。

これらの説明から、「訓練」とは、「何かを体得させるために繰り返しやらせること」という意味だと受け取れます。実際に「職業訓練」とか「防災訓練」などのように使われます。例文としては「厳しい訓練に耐える」とか「訓練して生徒を鍛える」など、なにやら厳格なイメージが漂います。


「何かを体得する」ということでいえば、警察犬や盲導犬など、人のために働く犬たちはそのための能力や技能を身につけなければならないので「訓練」という言葉が当てはまると思います。

しかし、家庭犬として暮らす犬たちはこの範疇ではありません。

「犬は家族」という観点から犬のしつけを考えたときに、この「訓練」という言葉はどうもなじまないと思うのです。


たとえば、子供に何かを教えるときに「訓練」とは言わないと思います。外から帰ったら手を洗う、ランドセルを放り出さない、脱いだものは洗濯かごに入れるなどなど、家庭での細かなルールがいろいろあると思いますが、それらを教えるときに「外から帰ったら手を洗うように訓練する」とは言わないでしょう。

犬のしつけもそれと同じです。先に述べたように、犬のしつけは人間社会や家庭でのルールを教えることが主体です。犬と人には共通の言葉がなかったり、思考が違っていたりするので、教えるときにちょっとした工夫や繰り返し教えることが必要になる場合もありますが、それは「訓練」するようなことではないのです。


このようなことから、いぬとずっとでは「訓練」や「トレーニング」という言葉は使っていません。

また、しつけは犬をロボットのように動かすことではないので、「命令」や「コマンド」という言葉も不要だと思っています。

 

※警察犬や盲導犬などの訓練を非難しているわけではないので、誤解のないようにお願いします。